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死にたがり野郎

死ぬ理由を探してるけど死なない

死にたがり4 恐怖

はじめは死ぬことは怖くなかった。

しかし死ぬことを現実的に考えた時、死ぬことが怖くなった。

死後の世界がわからないからだ。

 

地獄というものが本当に存在するのだろうか。

それともすぐに輪廻が回るのだろうか。

それとも真っ暗な闇なのだろうか。

 

もし、地獄というのならば本当に存在するのならばずうっと激しい痛みに耐えなければならないのだろう。その時、本当に救いはなくなる。

 

しかし、現実も生き続けるかぎり地獄ではないだろうか。

死とほんの少しの喜びという救いはあるもののそう変わらないと思う。

つまり死ぬことは門をくぐることと変わらないのではないか。

 

もし、輪廻を巡るならば、単純な繰り返しだ。深く考えることはない。

もし、真っ暗な闇ならば、恐怖を感じるだろうと思ったが、意識があるのならば1人ではないと思う。

ずうっといろいろなことを考えていればいい。

最悪でも狂ってしまえば苦しみもわからない。

 

もし意識がないのならば万々歳だ。私の最大の願いは消えて無くなることだ。

意識も肉体もない時、私という存在はなくなる。

 

そう考えた時、また死ぬことが怖くなくなった。

死にたがり3 交流

社会の中で過ごし人のことを考えることが面倒だと感じた。何を行動するにしても人の目を気にしなければならない。気にしなければいいという人もいるが、そうすることはとても難しい。人の目を気にしなければ孤立してしまう。孤立とは針の筵だ。人間は社会で生きていく以上他者と関わらなければならない。最低限のみ他者と関わって生きていくという方法はないわけでもない。しかし、その生活を送ることのできる人はある程度のスキルと才能が必要だと思われる。じゃあそのスキルを勉強すればいい?生憎私には興味のない分野を勉強し続ける努力をする能力は持っていないのだ。

死にたがり2 天秤

社会には辛いことと楽しいこととどちらの割合が大きいか。

言うまででもないだろう。

 

では、そんな社会で生きる意味は?

 

飴1つの為に鞭で10回叩かれるような場所で生きる意味はあるのだろうか。

それなら何も与えられない方が良いのではないか?生まれてこなかった方がよっぽど幸せだったのではないか?

 

毎日が楽しいと答えられる者は果たして何人いるのだろうか。

 

ほとんどの快楽は脳に電極を刺して電流を流せば得られるものだ。

そんなもののために一生懸命に生きる理由とは?辛いことを我慢するのは?

 

死にたがり1 めんどくさい

ひとつ、私にとって身なりを整えることは周りの目に気をつかうことである。

もし、この世界に私が1人ならば、きっと3日に一度シャワーを浴びる程度だっただろう。


ところがどうだ。


やれ、肌を整えるだの、髪を梳かすだの、歯を磨くだの、体毛の処理をするだの、匂いを気にするだの、体型を維持するだの、なんて面倒くさいのだろうか。

 

なぜこんな面倒なことに手間をかけなければならないのか。

なぜこんな面倒なことに時間をかけなければならないのか。

 

しなくていい?そう言う割には世間では清潔感のない人には厳しいではないか。もし上記のような人がいたら自然と交流を避けるだろう?

 

余談だが、私の容姿が決して良い方ではないことにもこの考えは関係するのだろう。自信を持てるような容姿であれば違う考え方も持っていたのだろうか。

 

どう頑張っても3→10しかならない者と80→800になる者が同じ舞台に立つことは大変滑稽だと思わないか。人は見た目じゃない、中身だなんていうがそんなことはないし、大抵は見た目を通してからやっと中身の評価がなされる。

 

例え中身を優先に評価する人がいたとしても私はそもそも中身がゴミクズなのでどうしようもない。

 

これは持論だがブスだから捻くれてるのか捻くれてるからブスなのかはわからないがブスと捻くれた性格というのは因果関係があると思っている。

 

化粧して努力しろと言うがその努力すら私には面倒なことこの上ないと感じるのだ。そもそも学校は化粧を認めていない。学生時代ブスとして過ごしてしまうと大抵は多少人間不信になるものだ。カーストに圧迫され、周りの目線が刺さり、自信がなくなり、行動に躊躇が生まれ…。

 

閑話休題。身なりを整えることは面倒だ。

誰の目も気にしなくてよくなるなら死にたい。